「立正安国の社会とは」

この度の東日本大震災では大変多くの尊い命が失われました。また、今なお多くの事件や事故や天災などで多くの尊い命が失われています。日蓮大聖人が目指す「立正安国」とはほど遠い社会となっています。

「立正安国」の世の中とは、身も心も安らかで穏やかな社会を言います。

この安穏な社会作りこそが、今求められています。日蓮宗では「安穏な社会づくり」に「敬いの心で」取り組んでいます。この「敬いの心」とは「但行礼拝」の精神です。

「妙法蓮華経常不軽菩薩品第二十」に説かれている常不軽菩薩は、外に出て会う人ごとに合掌し「私は深くあなた方を敬います。決して軽んじたり致しません。何故ならあなた方は誰でも、菩薩としての修行を行って仏さまになるからです。」と言って、ただひたすら人々を礼拝しました。拝まれた人の中には、悪口罵詈(わるぐちやののしり)し杖や棒で打ち、瓦や石を投げつけ追い払おうとする人もいました。しかし、常不軽菩薩は身を遠くに避けながらもなお合掌し声高く「私はあなた方を敬います。何故ならあなた方は仏さまになるからです。」と礼拝を止めませんでした。この常不軽菩薩の行いを但行礼拝と言います。

 日蓮大聖人は「松野殿御返事」の中で「過去の不軽菩薩は一切衆生に仏性がある。もし法華経を持つことができれば必ず成仏するであろう。そんな人を軽んじることは、ひいては仏を軽んじることになってしまう」と仰せになられ礼拝の尊さを説かれました。

この「但行礼拝」これこそ、日蓮大聖人のお題目の受持の精神です。

私たちは日々の生活の中ですべてに感謝し、道行く人やすれ違う人にも拝む心を持ち、常に有難く感謝の日々を過ごさなければなりません。

どうか私たち一人一人を敬う心で人と接することを心がけ「合掌礼拝」を以て、家庭の中でも「合掌礼拝」を実践し、地域や社会に広げて行きましょう。それこそが、安穏な社会作りの第一歩です。

本当の布施とは?

東日本大震災を受け、多くの場所でボランティアの方が活躍されています。

医療や災害現場の復旧作業で活動される姿をテレビで見られた方も多いことでしょう。

そもそも「ボランティア」という言葉は、英語で元々「志願兵」の意味だそうです。

それが変化していき、自らの意思で人のために率先して無償で行う活動を「ボランティア」と呼ばれるようになりました。

そのボランティア活動も、お釈迦様の教えでいう「布施」に通じて行くと思います。

「布施」とは全ての人と人との間に行われる優しさのやりとりであり、自分が一歩仏さまに近づくための修行なのです。決して金品だけを言っているのではありません。

ここで、お金を必要としない無財の七施を紹介しましょう。

  1. 眼施(げんせ)――優しいまなざしで接する
  2. 和顔施(わげんせ)――笑顔、やさしい表情で接する
  3. 言辞施(ごんじせ)――相手を思いやる言葉、心のこもった言葉で接する
  4. 身施(しんせ)――自分の身体でできることを奉仕する
  5. 心施(しんせ)――思いやりの心、周りに心を配る
  6. 床座施(しょうざせ)――場所や席を譲る
  7. 房舎施(ぼうしゃせ)――自分の家を提供し人を泊めてあげたり、休ませてあげたりする

以上が無財の七施と言われる施しです。

このように「布施」にも色々な形があるのですが、本当の「布施」とは決して見返りを求めず自らの徳を積む事であり、させて頂くと言う気持ちが大事になります。

そして、その布施の心は、お題目をお唱えする事で養われます。

日蓮大聖人のお言葉の中に「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与えたもう。」とお示しになり、お題目の中にお釈迦様の修行の功徳とお悟りの功徳が全て備わっていて、お題目をお唱えすれば自然に相手を思いやる優しさや慈悲の心、布施の心が養われるものだと仰せになっておられます。

まずは、お題目をお唱え致しましょう。

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