日蓮大聖人御一代記

(高座説教の模様)

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時あたかも承久の乱(1221年)によって貴族政治から武家政治へと移行する激動の時期を迎えていた、その時、日蓮大聖人は母(梅菊)の胎内で命の脈を打っていたのであります。梅菊は、毎朝太陽に向かって手を合わせ礼拝していましたが、ある日この太陽が蓮華にのって、懐にはいる夢を見て懐胎したと伝えられています。

貞応元年(1222年)二月十六日安房の国小湊の漁村(現在の千葉県安房郡天津小湊町妙の浦)、父貫名次郎重忠、母梅菊の子として、幼名善日麿、後の日蓮大聖人が誕生なされました。誕生の際には、海一面に季節はずれの蓮華の花が咲き乱れ、庭から清水が湧き出て、不思議な現象が起こったと伝えられています。  (つづく)

高座説教とは

聴衆より一段高く設けた席(高座)でおこなう説教のことです。詳しく言いますと、その高座は高さ四尺五寸、幅四尺四寸、奥行三尺五寸の台の回りを金襴などで作られた布でおおい、その台座の上に正座して行う伝統ある説教儀式のことを言います。この説教方法は江戸時代中期に確立され、今日に至るまで伝承されています。