活動報告2000年(平成12年)

平成12年4月15日

立教開宗七五〇年慶讃 佐賀県護法 松尾山大会

去る四月十五日(土)、十六日(日)の二日間に渡り鎮西本山松尾山光勝寺に於いて立教開宗七五〇年慶讃佐賀県護法松尾山大会が執り行われ、両日延べ千人余りの檀信徒の方々が参詣されました。

大会初日は、あいにくの雨模様でありましたが、大降りになる事もなく予定通りの法要開始となりました。一日目は、光勝寺の檀家の方々をはじめ伊万里・有田地区、小城・三日月地区の檀信徒およそ五百人余りの参詣がありました。

午前十時三十分、光勝寺総代の古川秀次氏の開会宣言が行なわれ、音楽大法要の開始となりました。大導師に松尾山光勝寺貫首田中日学猊下を仰ぎ、副導師に日蓮宗佐賀県宗務所小寺大誠所長、日蓮宗大分県宗務所長並鎮西本山光勝寺参与平田泰啓僧正、同じく参与加藤智顕僧正、塔中寺院教仙寺山主亀川学俊僧正が勤め式衆に聲明師会、青年会、伶倫に青年会雅楽部があたり厳かに執り行われ、一時間二十分に及ぶ感動あふれる素晴しい大法要となりました。

貫首長下は、表白文の中で鎮西発軫の根本道場として、光勝寺の歴史の重さを踏まえ開山日祐上人以来日親聖人等歴代の偉業威徳を称えられました。又、楼門修復をはじめとした境内整備の慶讃事業を奉告し、事業に丹精なされた檀信徒の方々に対し感謝の気持ちを述べられました。

この度の法要では、「礼講法要」という事で三つの問いに対しそれぞれに答えていくという問答形式を取り入れた格式高い法要となりました。その問いと申しますのは、松尾山光勝寺の創建の由来から、どの様な布教活動を行なって来たのかを問うもので鎮西発軫としての歴史をあらためて感じさせられました。

又、法要終了後田中貫首猊下が、この日の為にご準備された記念の玄題旗を、各寺院に配られ、代表で小城妙厳寺筆頭総代 牧瀬厳男氏へ、貫首猊下より直々に手渡されました。

昼食をはさんで午後十二時四十分より県内寺庭婦人と小城地区檀信徒計三十八名による法華和讃の奉納があり、一糸乱れぬ息のあった太鼓の音、和讃の声に檀信徒の皆様は聞き入っていました。

和讃の後は、本村宗務担当事務長導師のもと青年会の団扇太鼓の響く中、唱題行を十分間修行、そして午後一時より静岡県中部布教師会々長日蓮宗常任布教師平野譲山僧正による高座説教があり、お題目の有難さを分かり易くお話し下さいました。

以上が一日目の日程でありましたが、非常に感激深い法要となり、参加の檀信徒の方々も口々にお参りしてよかったと感想をもらしておられました。

二目目の日程も一日目と同様に行なわれましたが、天候は昨日と違い、素晴しく晴れ渡り絶好の日和となり佐賀地区、唐津・多久・杵藤地区の檀信徒五百人余りが参加、法要に於いては、大導師に宗務所小寺大誠所長を仰ぎ、副導師には協議員議長、辻泰誠上人、宗務所宗務担当事務長 本村孝弘上人、布教師会会長 静山是秀上人、協議員副議長 鶴孝澄上人が勤められ、厳粛に営まれました。

法要終了後、修法師により御宝前修法と大衆法楽加持がなされ、立正平和の祈念と檀信徒の信力増進の祈念が行なわれました。

そして、一日目と同様玄題旗が授与され、代表して多久市湧泉寺筆頭総代上野保雄氏が受け取りました。法華和讃奉納と唱題行と続き、最後に今回の大会をしめくくる高座説教が行なわれ、東京都大田区一華結社教導、日蓮宗専任布教師 戸沢宗充法尼が講師を勤め、女性の優しい口調で説法し聴衆の共感を呼び、さらには琵琶を奏でながらの日蓮大聖人のご一代記は感動的で涙する人もあり、お題目をお唱えする事の尊さをしみじみと教えて頂きました。

私達は、今回の松尾山大会を立教開宗七五〇年に向けての貴重な体験とし、一層のお題目信仰に精進して行かなくてはなりません。

佐賀県護法松尾山大会

その法要の意義について

去る四月十五日、十六日に開催された佐賀県護法松尾山大会に於て『鎮西発軫法華根本道場顕彰 礼講法要』と称する法要が営まれましたが、その意義・内容について説明をいたしたいと存じます。

この「礼講法要」とは、平安時代に伝教大師がはじめられた「法華八講」、「法華十講」などの法要があり、これを「論義」といいます。「論義」とは若い僧(問者)が、学徳すぐれた高僧(講師)に問いを発して教えを請うという法要形式のひとつであります。

日蓮宗では日蓮聖人が「法華八講」等を行なっておられましたが、日蓮聖人の第四百遠忌の折に身延山や池上で「法華八講」や「御書礼講」が行なわれたという記録があるようです。また近年では日蓮聖人第七百遠忌に池上本門寺で「法華経礼講」「御書礼講」が営まれました。

今回の「礼讃法要」の発端は昨年の四月二十日に千葉、中山法華経寺において宗門法要として『常修院日常上人第七百遠忌報恩御書礼講法要』が営まれましたが、この法要に列席された松尾山光勝寺貫首、田中日学猊下の発案でこの「礼講法要」を行う事となりました。

管内聲明師会において企画し、日蓮宗聲明師会、早水日秀聲明導師の助言、指導の下に『鎮西発軫法華根本道場顕彰礼講法要』が完成したのであります。

この法要の主旨は松尾山光勝寺が九州(鎮西)に於ける最初の法華経道場として建立された由来について答釈が行なわれ、その後いかなる布教が行なわれたか、さらに今後我々弟子信徒はいかなる信仰が必要であるかというものです。

では法要の内容について四月十五日の法要で御紹介申しましょう。

「講讃文」(講師)

本日の吉辰を卜して修し奉る宗祖日蓮大聖人立教開宗七百五十年慶讃大法要に於いて、謹んで講讃し奉る鎮西発軫の根本道場、松尾山光勝寺の縁起、仰も當山は今を遡ること六百八十三年、則ち花園天皇の御字、文保元年二月八日、千葉大隅守胤貞公の寄進建立せられたる寺にして、大本山中山法華経寺第三世浄行院日祐上人御開山なり。爾来歴世を重ねて本日ここに第六十二世現薫、田中日学貫首猊下、一山の大衆、随喜の諸大徳、県内外有縁の檀信徒と共に、宗祖日蓮大聖人立教開宗七百五十年慶讃大法要を営み、以って報恩の塵滴に擬し奉り、併せて御開山日祐上人巳来歴代先師諸上人の法功を讃嘆し奉る者なり。仰ぎ願わくは宗祖日蓮大聖人・當山歴代諸上人悉知照鑑を垂れ給え。

南無妙法蓮華経

「発問一」  (問者)

當山は、鎮西発軫の根本道場、則ち九州に於ける法華経弘通の法城として初めて創建されし御寺なりと聞けり。その由来や如何。願わくはこれを教示し給え。

「答釈一」  (講師)

肥前の国小城は中山法華経寺大檀越、大隅守千葉胤貴公が所領なり。胤貴公はこの地に法華道場建立を発願し、中山法華経寺第二世日高上人をして弟子日厳を九州に於ける宗門弘通の魁として当地に派遣す。日厳上人千葉胤貞公の篤き外護の下、法華経弘通拠点の基礎を創り給う。

今を去る六百八十三年、宗祖日蓮大聖人ご入滅の後三十五年、即ち文保元年二月八日、法華経寺第三世浄行院日祐上人を請じて開山と仰ぎ松尾山光勝寺を創建し、以て九州に於ける法華経弘通根本道場となせり。依ってこれ以後當山を鎮西発軫の根本道場と位置付け教線大いに発展を遂げたり。

南無妙法蓮華経

「発問二」  (問者)

大本山中山法華経寺と松尾山光勝寺との深き縁は粗これを領解することを得たり。而して、御開山日祐上人を首め歴代先師上人は此の地に於て如何なる布教活動を為し給いしや。願くは、これを教示し給え。

「答釈二」  (講師)

中山法華経寺第三世、光勝寺開山日祐上人は法華経弘通のため西海総導師として智観房日貞上人を差し向けるに当り「当家法門目安」を書き与え、乱れたる末法の世を救うに最もふさわしき教えは法華経なり、宗祖日蓮大聖人の厳格なる信仰を弘むべしとの心得を教示したまえり。日貞上人は千葉氏の被護のもと小城・三日月に大いに教線を張れり。開創以来十四世迄は中山法華経寺と両山一寺の制度により住職は中山法華経寺の貫首の兼務なり。

時流れて永享五年、光勝寺十五世に至り初の住職として「九州の総導師」久遠成院日親上人、即ち「鍋かむり日親上人」この地に赴き、舌端火を吐くが如き激しき布教を展開し、その為に法難を招けども「身軽法重・死身弘法」の身命を惜しまざる御化導により、九州各地に多くの寺院を建立せり。

今、九州の法華経信仰の盛んなるは実に上人の行功なり。我等同門の末流は先師諸上人の鴻恩を忘るる事なく報恩の行を修すべきなり。

南無妙法蓮華経

「発問三」  (問者)

御開山日祐上人巳来歴代の先師先聖、大法弘通の為に身命を惜しまざる御化導の行功を具さに聴聞することを得て感激新たなり。

時なる哉、宗門は平成十四年に立教開宗七百五十年慶讃の嘉辰を迎う。我等日蓮大聖人の弟子信徒は、この千載一遇の好期に臨み、何を以てか本佛釈尊・宗祖日蓮大聖人の鴻恩に報いるべきや。願くは、これを教示し給え。

「答釈三」  (講師)

宗祖日蓮大聖人「開目抄」に曰く、「我日本の柱とならん、我日本の眼目とならん、我日本の大船とならん」と云々。

釈尊出世の本懐は浄仏国土の顕現にあり、日蓮大聖人御生涯の誓願は立正安国の実現にあり。ゆえに釈尊は、久遠実成を顕発して常住不滅の本土を説き給い、日蓮大聖人は題目受持に本時の娑婆世界を感得し給えり。

平成十四年、立教開宗七百五十年の嘉辰を迎えるに当り、我等日蓮大聖人の弟子信徒は、松尾山開山日祐上人以来御歴代の先師、殊には中興日親上人の不惜身命の化導を鑑として、浄仏国土の実現のためお題目修行に邁進し、法城護持に精進し奉らん。

これ即ち本仏釈尊、宗祖日蓮大聖人への報恩謝徳なり。

南無妙法蓮華経

「誓願」  (問者)

我等いま、百千万却を経るとも遇い難き法華経の法筵に遇い奉り、九州に於ける妙法広布最初の法城たる當山の由来、歴代上人愛山護法の熱情と、その淵源たる宗祖日蓮大聖人立教開宗の大誓願について御教示をたまわり、いよいよ法華経信仰・法城護持に精進せんことを誓い、参集の人々諸共にお自我偈を読誦し、御題目を唱え奉らん。

以上の内容の発問答釈を行いました。当日参加の皆様にはこの文章によって詳しく御理解頂けたものと存じます。

《一日目 平野譲山僧正のお説教》

私は、「皆さん最高ですか。」で有名になりました某宗教団体本部が置かれている静岡県富士市に住んでおります法藏寺住職平野譲山と申します。

人はその心持ちによって受け取り方が違ってきます。例えば「欲しいねとも、もういいやとも、雨は何もいわないが。」ということばがあります。同じ雨でも降ることを願う人、降らないことを願う人ということです。この高座とはお釈迦様、お祖師様の説法の姿を表現したものであります。皆様の心持ちで話を受け取って下さい。

昭和五十八年当県嬉野において、お題目によって救われました。是非お礼に身延山でお題目を唱えたいと言う人に出会いました。その方は念願かなって身延山でお題目を唱える事ができました。一方、私は身延に近い静岡県に住んでいますが、お祖師様の手紙ではありませんが「道の程近く候へども心は遠し」の心境です。

宗門では今、立教開宗慶讃お題目写経を進めています。お題目の写経をしその横に祈願を書き身延山の宝塔に納めます。皆様のお題目と願いが身延のお祖様の下に届くです。

私たち人間は必ず死を迎えるわけですが、世の中にはポックリ寺と称しポックリ死ねる様にとの祈願をする人がいます。しかしながら私たちはお釈迦様がお説きになった生老病死から逃れる事は出来ません。私の母は五十八歳で脳梗塞にかかりお題目を唱えることが出来なくなりました。この娑婆を去る時に臨終正念のお題目を唱えたい、しかし自分では唱える事が出来ない、では代りに私がお題目を唱えましょうと、お題目を聞きつつ臨終を迎える事ができました。

お釈迦様は「是好良薬、今留在此」と説かれ、日蓮大聖人はこの良薬を南無妙法蓮華経のお題目で示されました。平成十四年あと二年で宗祖立教開宗七五〇年を迎えます。お祖師様の願いを我が願いとしてお題目をお唱えし平成十四年をお迎えいたしましょう。

《二日目 戸沢宗充法尼のお説教》

私は、東京大田区一華結社教導の戸沢宗充でございます。

昨年は、コンピューターの二千年問題で騒がれました。

しかし二千年とは西暦であらわしたものであり仏教徒である私共としては仏暦では二千六百五十九年であります。現在、私共は諸外国の人達から見れば雑乱信仰そのものであります。

ところで私にとっては皆様も感じられているとは思いますが、今世紀は戦争の世紀であると思います。

この暗い戦争を契機に日本は何かを忘れて金儲け主義にはしり経済大国となりました。その中で人としての心を忘れてしまい多くの悲惨な事件などを作り上げ不安定な時代を作り上げてしまいました。

法華経の如来寿量品第十六には「放逸にして五欲に著し、悪道の中に堕ちなん」と説かれております通り、欲に溺れた人々は悪道(地獄、餓鬼、畜生)の中に落ちた状態そのものが日本の現在の世の中です。

この世の中から脱する為には、本当の豊かさとは何か、一人一人が気づくには正しい宗教のお教えを学ぶ事が必要です。正しい宗教とは、本当の生きがいを求め、どう生きたらいいのかを問い、本来の宗教の目的を実践するものであります。

お釈迦様は、「人生は苦である」と申されております。その苦とは「四苦八苦」の事であります。「生・老・病・死」は、皆様平等に与えられた苦であり避けられない苦であります。

しかし、本当にお釈迦様がお説きになりたかったのは「愛別離苦」・「怨憎会苦」・「求不得苦」・「五陰盛苦」の人として避けられない苦であります。

世の中は「四苦八苦」の時代ですが、欲望のまま生きるのではなく「お蔭様」でと言う感謝の気持ちを忘れず、永遠の仏様であるお釈迦様がお説きになられた法華経にふれる事によって欲望にとらわれず心を浄化し心を養うよう努力しなくてはなりません。

仏様は、我々衆生を仏の子として見られております。だからこそ、私共は仏様に感謝の意味をこめ日蓮大聖人の「立正安国」を目指し、お題目修行に、日々精進して参りましょう。