活動報告2001年(平成13年)

平成13年10月30日-31日

九州名刹参拝(九州団参)が行われました。

平成13年3月29日

立教開宗七五〇年慶讃清澄寺団参無事円成

去る三月二十九日から三十一日までの二泊三日の日程で、佐賀県宗務所主催の立教開宗七五〇年慶讃清澄寺団参が実施され、小寺大誠宗務所長が団長となり、県内より二四〇名の団員の参加を得、今回の団参の目的である、日蓮大聖人立教開宗の聖地、清澄寺に於ける慶讃法要を団員と共に感激深い素晴らしい法要を勤め、所期の目的を達成する事が出来、意義ある団参となりました。

二十九日の一目目は、早朝より佐賀空港を立ち東京へ向い、大聖人入滅の霊場、池上本門寺に参拝。大堂改修工事の為に祖師像が本院二階に遷座されており、普段では目のあたりに出来ない大聖人を間近に拝顔する事が出来、感激も一入でした。御開帳が終わり昼食を頂き目的地清澄寺へ向いました。清澄寺に到着してすぐ目に入ったのが、此の度の慶讃事業で宗門が建立した研修会館でした。この研修会館は地下一階地上三階建ての立派な建物で研修道場を初め二つの研修室、大小二十の和室の部屋があり二百名が宿泊出来るという目を見張るものでした。この日は、この会館に宿泊、明日の御来光並に慶讃法要に備え早めの就寝となりました。

三十日の二日目、午前四時半に起床。天候は曇空で、ご来光が拝めるか一末の不安をかかえる中、旭ヶ森に登り、日蓮大聖人のお銅像の前で団員一同声高らかにお題目をお唱え致しました。大聖人が我々の思いを聞き入れて下さったのか雲のすき間から、見事なご来光を仰ぐ事が出来、只々感謝の気持ちで一杯でした。

朝食後お題目写経を研修道場に於いて全員行いました。

写経後、清澄寺祖師堂に於いて今回の最大の目的である立教開宗七五〇年慶讃法要となり、徐々に緊張感が高まって参りました。小寺所長導師のもと副導師に宗務担当事務長、本村孝弘上人、協議員議長、鶴孝澄上人お二人が勤め、他八名の式衆の出座により盛大に執り行なわれました。団員一同、お堂に響き渡るお経の声を拝し、七百五十年の歴史を脳裏に浮かべながら大聖人の遺徳を偲んでいました。

また、法要の中で寺庭婦人・檀信徒による法華和讃の奉納があり、清澄寺で聞く息のぴったり合った和讃奉納は一際素晴らしく、大聖人が笑んでおられるお姿が目に浮かぶ程の感動でありました。小寺所長は挨拶の中で「大聖人が、この立教開宗の聖地清澄でお唱えになられたお題目を私達がしっかりと受けとめ、子に孫に、又未信徒の方々までにも伝えていく使命があります」と立教開宗七五〇年を迎えるにあたり私達に「伝える」事の大事さを戒めて頂きました。ここに見事に此の度の団参の目的が達成円成し感無量の感激を団長始め、団員皆がかみしめました。

法要終了後清澄寺を後に、大聖人御年四十三歳、小松原ご法難の霊場鏡忍寺へ向いました。この鏡忍寺は、ご法難の際に大聖人をお守りし殉教した弟子鏡忍房と工藤吉隆を弔う寺。ここでの縁起話は、まさにその当時をほうふつさせる語り口調で感銘を受けながら聞き入りました。鏡忍寺を後に次に参詣しましたのが妙蓮寺。この寺では、大聖人の御尊父妙日尊儀(貫名次郎重忠公)、御尊母妙蓮尼(梅菊御前)を弔う寺で、御両親の墓場を祀る御廟堂が建立されていました。宗祖自ら御両親の法号を冠して妙日山妙蓮寺と命号されたという事です。次に妙蓮寺を後に誕生寺へ参詣し、御開帳を受けました。誕生寺は、大聖人の御誕生と母梅菊の蘇生延寿を記念して弟子の寂日房日家上人が建治二年(一二七六年)に建立されたもの。参詣後、二日目の宿、ニュー小湊ホテル吉夢へ移動、宿泊。

三十一日の三日目。この日は、朝から雪まじりの雨が降って大変寒い日となりましたが、小湊を後に今回最後の参拝の寺院、東京葛飾は、寅さんで有名な柴又帝釈天、題経寺へ出発しました。到着後御開帳を受け、本尊は大聖人が自刻したと伝えられる帝釈天を描いた板で、御開帳を受け目のあたりに拝む事が出来ました。又特筆するべき事は、帝釈堂の随所に施された数々の彫刻の素晴らしさと、おしげもなく使用されているけやきの木材多さには感嘆させられました。以上二泊三日の日程全てが終了し羽田空港へと向い、佐賀へと帰路に着きました。