活動報告2005年(平成17年)

平成17年11月16日

日蓮宗佐賀県青年会 終戦60年戦没者慰霊沖縄団参報告

日蓮宗佐賀県青年会は平成十七年十一月十六日から十八日まで二泊三日の日程で、四八名の団員とともに団参を行いました。今年が終戦六十年であることから、沖縄の地で戦没者慰霊法要を目的とした沖縄団参を企画しました。

まず沖縄へ出発する前に福岡空港で結団式を行い、二泊三日の間何事もなく無事団参を終える事を誓い、同行する青年会員の紹介の後、福岡空港を飛び立ち、一路那覇空港へ出発しました。

最初にひめゆりの塔を訪れました。ここは看護要員として沖縄県立第一高等女学校と沖縄県師範学校女子部の教師と生徒二一九人により編成された「ひめゆり学徒隊」の慰霊塔であります。陸軍病院本部壕で献身的な看護活動に従事しておりましたが、直撃弾が落ち多数の犠牲者が出ました。助かったひめゆり学徒隊も荒崎海岸に追い詰められ、米軍の捕虜になる事を恐れて手榴弾で自決したと伝えられています。私たちはここで戦争の恐ろしさ、歴史を目の当たりにしました。

続いて平和祈念公園のホールで慰霊法要を行いました。?(きん)座の引?(きん)一打により、参加者全員の気持ちが一つになり、如来寿量品第十六をお唱えしながら、お一人お一人が御宝前に献花を捧げていただいている姿を拝見しておりますと、沖縄の歴史の重さや、戦争と平和の問題、戦没者を偲ぶ心、そういうものが脳裏に浮かび、胸を打たれました。

法要

回向文のなかで『時の日本海軍司令官、僧籍にありし太田中将は、昭和天皇に対し、「沖縄県民かく戦えり。後世に於いて沖縄県民に対し格別のご高配を賜らんことを」との最後の電文を送り、玉砕さると聴く。』と唱えましたように、沖縄戦で犠牲になったという二十三万六千人の人々、犠牲にならずとも戦争経験者は多数おり、沖縄県民は戦争とのかかわりがない人はいないと言うくらい、精神的にも肉体的にも傷を負っている。今回その傷をすこしでも癒して差し上げられたらという思いで法要に臨みました。今回の法要により、魂が慰められることを願ってやみません。

その後、沖縄の日蓮宗寺院である法華経寺で御開帳を受け、妙徳寺を参拝させていただきました。

法華経寺

二目目、三日目は、「沖縄美ら海水族館」「沖縄フルーツランド」「万座毛」「琉球村」「首里城・守札門」など沖縄特有の大自然や風土を満喫し、充実した日程となりました。特に首里城は世界遺産として認定されており、中でも正殿は三層で城内最大規模の建物であり、琉球王国の王が政治や重要な年中行事を行う場所として使われていました。屋根の龍頭棟飾や龍の文様、朱を中心としたきらびやかな色彩は中国の影響を受け、構造形式や正面の屋根は日本の影響を受けているとされています。また守礼門は「守礼之邦」の額が掲げられている首里城の第二の坊門で、「守礼之邦」とは平和の民として沖縄を象徴しており、琉球国王の即位を認定する中国の使者を迎えるために創建されたといわれています。

以上、二泊三日の限られた時間でしたが、沖縄の歴史・自然・文化とふれあうことができ、団員一同何事もなく無事に帰ってこられたことに感謝致します。

日蓮宗佐賀県青年会