活動報告2009年(平成21年)

平成21年11月29日

『心にひびけお題目』

平成二十一年十一月二十九日午後二時より、多久・唐津地区檀信徒研修道場『護法の集い』が、メインテーマを「心にひびけお題目」と題し、唐津市法蓮寺(藤山英周住職)にて開催された。県内を四地区に分け行われている地区檀信徒研修道場も今回で四回目となり、今回は多久・唐津地区寺院が小寺亮伝(多久市・等覚寺住職)大会委員長を中心として会議を重ね、当日、僧侶・寺庭婦人・檀信徒合わせて約二百名近くが参加した。

小寺大会委員長の開会の辞の後、小寺大誠宗務所長、森永新二檀信徒協議会長の祝辞を頂いた。小寺所長は祝辞の中で「本日お題目のご縁によって集まられた皆様、今日の大会で得たものを生活のかてとして頂ければ幸いです。」と述べ、森永会長も同様に「今日の研修が皆様の信仰を深くするものになればありかたいです。」と述べた。

その後、静山是秀前布教師会長が「お題目と唱題の功徳」と題して法話が行われ、「唱題修行にはげみ、久遠本仏であるお釈迦様と一体となる、そのことを自覚することこそが最も大切であります。」と述べた。

休憩の後、宮本智昭師(多久市・妙海寺住職)を導師に約四十分唱題行が行われ、その後、藤山住職を導師とし、多久・唐津地区寺院総出仕のもと大会法要がおごそかに執り行われた。

護法大会

最後に、地区護法常任委員である井上利夫(唐津市・億昌寺総代)氏が「私達檀信徒は、法華経の正しい信仰者としての誇りと責任を自覚し、宗祖の異体同心の教えを守り、お寺の繁栄とご住職の護法活動のお手伝いをし、信仰生活を身をもって子孫に示し、末代まで信仰が続くよう勤めます。」と参加者を代表して誓いの言葉を述べ、藤山住職が参加者に対しお礼の言葉を述べて無事に大会の幕を閉じた。

平成21年11月10日

『いのち輝く〜こうのとりのゆりかご』

研修会

日蓮宗佐賀県宗務所と佐賀県教化センター共催により、11月10日佐賀市のグランデはがくれにて「県内教師・寺庭婦人・檀信徒研修会」が開催された。熊本市・慈恵病院蓮田太二理事長・同院田尻由貴子看護師長を講師に迎え、『いのち輝く〜こうのとりのゆりかご』と題し、約2時間に亘り講演があった。

『立正安国・お題目結縁運動』も実動に入り、宗門挙げて様々な活動が展開されており、運動の一つの柱、「いのちに合掌」をテーマとした研修会と云う主旨で開催された。毎年3万人を超す人々が自ら命を絶つ、一方では生れてくるはずの33万人を超す命が、人工妊娠中絶と云う現実がある今日。医療の現場で、日々命の重さと向き合って活動されている、両氏に宗教の枠を超えてお話し頂いた。

慈恵病院の母体となる施設は、カトリック司祭のジャン・マリー・コール神父により明治29年に設立され、昭和五十三年に現在の慈恵病院となり、主に産婦人科医療に力を注いできた。そういう中、熊本で三人の新生児が続けて捨てられ、うち二人が死亡すると云う事件が起こり、蓮田先生は『こうのとりのゆりかご』を立ち上げる決心をされた。しかし、当時の総理大臣を始めとする反対意見が数多く上がる等困難を極めたが、平成十九年四月熊本市より設置許可かおり同年五月運用が開始された。ゆりかごに預けられた赤ちゃんは、十九年度は十七名・二十年度は二十五名、遠くは関東地方から預けられたケースが十件に上った。両氏によると『こうのとりのゆりかご』の本来の目的は”事前相談”であり、そこでは様々な社会的な課題がみえてきたと云う。性行為の低年齢化・若年層の人工妊娠中絶の増加・自己責任の欠如・児童虐待数の増加・家族のきずなの薄弱・社会的育児支援の貧困・・・。現場でないと知りえない話を聞くにつれ、改めて厳しい現状を突きつけられた思いがした。

宗祖日蓮大聖人は、大衆の苦しみを自身の苦しみとして憂われ、法華経による仏国土顕現に生涯を捧げられた。混迷を極めた現代に「二陣三陣続けよがし」との宗祖のお言葉を再認識させられた講演会であった。

最後に松野邦俊教化センター長が、お互いに異なる宗教観を内包してのお話で、貴重な講演を頂いた事に感謝の言葉を申し述べた。また参加の檀信徒に対して、いのちの貴さを家庭で地域で伝えて欲しい、と結び研修会を終了した。

研修会

平成21年10月26日-29日

身延・京都団参

◎一日目

日蓮宗佐賀県宗務所企画による「身延・京都団参」が昨年十月二十六日〜二十九日・三泊四日の日程で開催された。

二十六日朝早く各地よりバスに乗り込み、朝七時に福岡空港に集合した。空路東京羽田空港に到着すると、あいにくのお天気であったが二百五十六名の団員と共にバス五台に乗り込み、一路鎌倉妙本寺へと向かった。途中、朝比奈峠を左右に身体を揺られながら、鶴岡八幡宮の桜並木表参道を通り、大雨の中、皆傘をさして妙本寺の祖師堂に到着。祖師堂に於いて、妙本寺貫首・早水日秀猊下より、

「私も実は小城町出身で・・・・」

と親しみをこめて有り難い御挨拶を賜り、その後御開帳いただいた。それぞれにバスに戻り、この日の宿泊地・身延へと向かった。

山梨県身延町へ入り、総門をくぐり、三門を拝見し、身延の宿坊には日も暮れた十九時くらいの到着となった。到着してすぐ食事を頂き、次の日の総本山朝勤・祖山総登詣輪番法要参加のため、早々と床に就いた。

◎二日目

朝四時三十分に起床し五時十五分に宿坊を出発、総本山の西谷をゆっくりと登詣し朝六時から始まる朝勤に団員一同出仕した。

前日の雨が嘘のような、好天に恵まれ、九時から始まる祖山総登詣輪番法要までの時間を大客殿で過ごし、いよいよその時間がやってきた。

内野日総法主貌下を団員一同お題目をお唱えしながらお迎えし、法主猊下より団長・佐賀県宗務所長小寺大誠上人に委嘱の儀(輪番導師に任じられ)が執り行われ総登詣輪番法要が始まった。

式次第の中で、団員を代表し小寺所長より総本山御本尊・日蓮大聖人に、「佐賀県檀信徒とともに祖山総登詣の機会に恵まれ、お題目を唱え御報恩に供え、御給仕出来る感激と霊山の契りを永遠に銘記し、寺檀一致して宗門を護持し、広宣流布に勤めて参ります。」との誓いの詞を宣言され、その後団員に対し「共に精進致しましょう」と挨拶をいただき、大本堂での輪番法要がとどこおりなく無事終了した。団長始め、団員一同、心に感動と感銘を受けた貴重な時間となった。

その後、御真骨堂に参拝し並びに昨年百三十三年ぶりに創建当時の姿で復元建立された五重塔を拝見し、御廟所へと向かった。日蓮大聖人の墓前にて寺庭婦人と檀信徒有志により法華和讃が奉納された。

◎三日目

朝から非常に天気が良く、日中は汗ばむ程の気温になった三日目は、今回の団参のもう一つの柱である「日蓮と法華の名宝展」が開催されている京都への移動から始まった。

好天のおかげで、移動の車中は、各所の様々な景色や建物を堪能することができ、気分良く京都へ入ることができた。

西陣織会館での昼食後は、「日蓮と法華の名宝展」に協賛した各宗本山を巡ることとなっており、まず最初に本門法華宗の妙蓮寺を訪れた。

妙蓮寺

いわゆる日蓮宗でないお寺にお参りし、ご開帳を受けるというのは、あまりないからであったためか、最初は妙蓮寺の微妙に違うお経の上げ方に戸惑いもみられた。しかし、途中で南無妙法蓮華経の音が聞こえ始めると、全員が一緒にお題目を唱える声が本堂に響き渡り、やはり私達はお題目で繋がっているのだと、改めて強く感じることができた。

次にお参りをした日蓮宗の本法寺は、大通りを隔てたすぐ近くにあり、そのまま徒歩で移動することができた。これほどまでに大きなお寺同士が、こんなに近くあるというのは、まさに”京都ならでは”ではないだろうか。

本法寺では、長谷川等伯の作品や、座った形の四菩薩像などの様々な宝物に加え、宝物殿まであり、見所が満載すぎて時間が足りないという人が続出した。

三日目の最後にお参りしたのは、顕本法華宗の妙満寺であった。比叡山が見える所に建てられたお寺ということだったので、到着した夕方頃には、境内から暮れなずむ比叡の山々を見ることができた。忙しい最中であったお寺の方々がおもてなしをして下さり、長時間のバス移動で疲れた檀信徒も、おいしいお茶と雄大な景色にホツとしているようであった。

妙満寺

最後の夜は、琵琶湖のそばの雄琴温泉に宿泊し、団参中の様々な縁を語り合い、楽しい時間を過ごすことができた。

◎四日目

身延・京都団参の最終日は、「日蓮と法華の名宝展」を拝観した。宿を出発し、そのまま京都国立博物館へ。開館前に到着したが、既に入り口には行列があり、入る前からより一層期待が高まることとなった。

国立博物館

中に入ると、その期待を裏切ることなく、二百点にも及ぶ展示品が、日蓮門下の人々の歴史を、京都の歴史を、私達に雄弁に語ってくれた。

特に、日蓮大聖人がお書きになられた、国宝・立正安国論は、鎌倉時代に生きられた大聖人と私達を、お題目へとつなぐ架け橋であり、多くの人々がその前で歩みを止め、濃密な時間を過ごしているようであった。

また、国立博物館の近くには、三十三間堂などの観光スポットも多々あり、時間まで自由に京都を楽しむことができた。

京都駅からの新幹線の中では、さすがに疲れた人が多かったようで、博多に着くまで目を覚まさない人もいたようである。博多駅でそれぞれのバスに別れて帰路につき、三泊四日の身延・京都団参は無事解散と相成った。

今回の団参では、日蓮大聖人の信仰の根本である身延山と、その教えが華開く京都へとお参りをした。少々長い日程ではあっただろうが、その旅の道程は、まさにお題目信仰が辿った道であり、団参参加者はこれまで以上に歴史を感じ、先人に感謝したことであろう。私達はこの感謝の気持ちを「南無妙法蓮華経」のお題目で、伝えていかなければならない。

平成21年7月5日

「立正安国論」奏進七五〇年御正当法要並、檀信徒協議会総会

去る七月五日、小城市松尾山護国光勝寺に於いて、僧侶及び檀信徒あわせ約二五〇名の参加者を得、「立正安国論」奏進七五〇年御正当法要並、檀信徒協議会総会が佐賀県宗務所主催にて行われた。

「立正安国論」奏進七五〇年御正当法要では、大導師に本山光勝寺貫首平井日延貌下、副導師に宗務所長小寺大誠僧正、協議員議長加藤智顕僧正、式衆に声明師会各師の出仕にて厳かに執り行われた。法要の始めに日蓮宗宗務総長の宣言文『七百五十年前「立正安国論」に込められた日蓮聖人の祈りは、今や万民の祈りとなり、世界全土、全人類共通の切なる願いでもあります。久遠のご本仏釈尊が、正しい教えが滅する末法の時代と、生命ある全てのもののためにお遺し下さいました真実の教え「妙法蓮華経」は、今を生きる人々にとって唯一の希望であり、闇夜を照らす大燈明であることを、宗祖日蓮大聖人はお示し下さりました。

私どもは今日、此の時、ここに於いて七百五十年前に発せられた宗祖の御心に異体同心し、「信仰の寸心を改めて、速やかに実乗の一善に帰せよ。然れば即ち三界は皆仏国なり」のメッセージが、現代人のみならず、未来を継ぐあらゆる人々と、全ての国土に行き渡る事を祈ります。

そして、私どもは個々の成仏から全体の成仏を願い、世界全体の幸福なくして我身の安堵はあり得ない事を力強く表明し、御仏の慈愛とお導きによって生かされる「真の仏子」として万民の祈りを形となし、御仏の大慈大悲の教えが日輪の如く益々輝きを増し広く伝わり、あらゆる国土が正しい教えを受け持つ人々によって安穏なる世を築かんことを念じ、人々の願いを実現する立正安国の大道を歩まんことを誓願致します。』を小寺大誠宗務所長が代読。

法要中に、本山光勝寺貫首平井日延貌下が、本堂御宝前の国宝「立正安国論」復刻版を拝し、『日蓮大聖人が正しい仏法の信仰が広まり、穏やかに治まる国家の実現を願い「立正安国論」を前執権北条時頼に奏進されましたが、聞き入れてもらえなかったが為、深刻な災難に衆生の苦しみは止まるところを知らなかった。今現在も地球人類全体が異常な危機に遭遇し、日蓮大聖人の深遠さを思う。』と、高らかに表白文を読み上げられた。

法要終了後、布教師会会長松島正英上人による記念法話で、「立正安国論」を用いて(法華経信仰の大切さ)(命の尊さ)(相手を思う気持ち、相手に対する合掌)など、解りやすい話に檀信徒も熱心に聞き入っていた。

昼食後には、檀信徒協議会総会にて、

が行われた後、無事閉会を迎えた。