荒行の始まり

日蓮宗の荒行は、世界三大荒行の一つに数えられ大変厳しい修行といわれる事は皆様よく御存じの事と思います。

そもそもこの荒行の始まりといいますのは、今からおよそ七百年前にさかのぼります。

日蓮大聖人が御入滅される際に、弟子の日像上人という方に京都弘通を委嘱されました。この日像上人は大変厳格な性格の持ち主で、自分に非常に厳しいお方でしたので、日蓮大聖人から直々に京都弘通を命じられた事を重く受け止められました。そこで日像上人は大聖人の遺命を身をもって実行する為、永仁元年(一二九三)二十五才の時、京都弘通の成就を願い、石の心身を鍛錬なさろうと、冬十月二十六日(現行歴では十一月に当ります)鎌倉にある由井ケ浜の浜辺にて、毎夜百ケ日の間、寒風に身をさらしながら時には身を海に投げ出して心身を清め、一晩に百巻の「自我偈」を誦して、翌年の二月まで修行なされました。このことが日蓮宗荒行の始まりとされています。

今現在では千葉県市川市に在る大本山法華経寺の内に「日蓮宗加行所」として毎年開設され、古来からの伝統を守りつつ厳しい修行が十一月一日より翌年の二月十日の満行まで百日間行なわれています。


「大荒行堂の日課」

大荒行の修行を全てを語ることは到底できませんが、今回はその一端を申したいと思います。

先づ起床ですが、午前三時からの水行を行う為に午前二時頃の起床となります。荒行は基本的に一日七回(午前三時・六時・九時・十二時・午後三時・六時・十一時)の水行と、読経で一日が明け暮れます。水行が終れば読経、読経が終れば水行という徹底した修行をする事で、自分の六根清浄・罪障消滅をめざします。

食事は、朝夕の二回のみ、昼食はありません。お粥とみそ汁だけでこの百日間を通す訳です。しかも食事の時間は僅かなお粥を飲みほすだけの短時間で、無駄な時を取りません。

つまり一日二時間余りの睡眠と二食の食事で日に七回の水行、延べ十八時間余に渡る読経三昧ですので、声は嗄れ、足は腫上り、身体は衰弱して意識はもうろうとして来ます。しかしこの様な過酷な状態にあっても何とか百日間の修行が全うできるのは自からの修行しようとする気持、いや鬼子母尊神、諸天善神の御加護に他ありません。

荒行も五十日間が過ぎますと檀信徒との面会が許される訳ですが、直接手を触る事はできません。面会に訪れた方々に法楽加持を行ないますが、水行・読経で清められた行僧の御祈祷には計り知れない迫力と感動を受ける事と思います。

日蓮宗の荒行は日本仏教の中で一番厳しい修行です。その訳はお釈迦様の真実の教えである法華経、そして日蓮大聖人がお唱えになられたお題目を弘めんが為に法華経の行者に求められた厳しさがそこにあるからです。