活動報告

日蓮宗青年会と小川島について

青年会が毎年行っている行脚では、年毎の行脚場所をそれぞれの地区で持ち回りしていますが、7、8年程前に、唐津地区でという話になりました。

その時に、小川島という場所ならば、昌善寺さんの信者さんもいて回り易いということから、初めて青年会の行脚の場所となりました。

この時はあくまでも、青年会の年毎に変わる行脚の場所に、たまたま選ばれたという程度でした。

しかし、行脚後に昌善寺さんが島の信者さんの所へ御祈願へ行った時に、是非ともまた皆さんに行脚に来て欲しいと乞われたそうです。

ただし、行脚の時期は変えて欲しいと、漁や気候が落ち着く4月に是非お願いしたいとのことでした。(最初の行脚は雪の降ってる時期にあったそうです。)

それから毎年4月に、小川島の皆さんからの行脚のご依頼を、昌善寺さんを通してという形で、佐賀県日蓮宗青年会が小川島で行脚を行っております。

以下は2006年の小川島行脚の様子です。


終戦60年戦没者慰霊沖縄団参

平成17年11月16日から18日まで2泊3日の日程で、48名の団員とともに団参を行いました。今年が終戦60年であることから、沖縄の地で戦没者慰霊法要を目的とした沖縄団参を企画しました。

1日目

まず沖縄へ出発する前に福岡空港で結団式を行い、2泊3日の間何事もなく無事団参を終える事を誓い、同行する青年会員の紹介の後、福岡空港を飛び立ち、一路那覇空港へ出発しました。

最初にひめゆりの塔を訪れました。ここは看護要員として沖縄県立第一高等女学校と沖縄県師範学校女子部の教師と生徒219人により編成された「ひめゆり学徒隊」の慰霊塔であります。陸軍病院本部壕で献身的な看護活動に従事しておりましたが、直撃弾が落ち多数の犠牲者が出ました。助かったひめゆり学徒隊も荒崎海岸に追い詰められ、米軍の捕虜になる事を恐れて手榴弾で自決したと伝えられています。私たちはここで戦争の恐ろしさ、歴史を目の当たりにしました。

続いて平和祈念公園のホールで慰霊法要を行いました。金座の引金一打により、参加者全員の気持ちが一つになり、如来寿量品第十六をお唱えしながら、お一人お一人が御宝前に献花を捧げていただいている姿を拝見しておりますと、沖縄の歴史の重さや、戦争と平和の問題、戦没者を偲ぶ心、そういうものが脳裏に浮かび、胸を打たれました。

回向文のなかで『時の日本海軍司令官、僧籍にありし太田中将は、昭和天皇に対し、「沖縄県民かく戦えり。後世に於いて沖縄県民に対し格別のご高配を賜らんことを」との最後の電文を送り、玉砕さると聴く。』と唱えましたように、沖縄戦で犠牲になったという二十三万六千人の人々、犠牲にならずとも戦争経験者は多数おり、沖縄県民は戦争とのかかわりがない人はいないというくらい、精神的にも肉体的にも傷を負っている。今回その傷をすこしでも癒して差し上げられたらという思いで法要に臨みました。今回の法要により、魂が慰められることを願ってやみません。

その後、妙徳寺を参拝させていただきました。

法華経寺で御開帳を受けます。

2日目

まず沖縄美ら海水族館を見学します。

万座毛

琉球村

3日目

首里城・守礼門など沖縄特有の大自然や風土を満喫しました。

特に首里城は世界遺産として認定されており、中でも正殿は3層で城内最大規模の建物であり、琉球王国の王が政治や重要な年中行事を行う場所として使われていました。屋根の龍頭棟飾や龍の文様、朱を中心としたきらびやかな色彩は中国の影響を受け、構造形式や正面の屋根は日本の影響を受けているとされています。

また守礼門は「守礼之邦」の額が掲げられている首里城の第二の坊門で、「守礼之邦」とは平和の民として沖縄を象徴しており、琉球国王の即位を認定する中国の使者を迎えるために創建されたといわれています。


「日蓮宗総合財団奨励賞」を受賞する(平成16年)!

本年、佐賀日青会は、昭和35年結成以来44年を迎えました。

この度、日蓮宗綜合財団より「日蓮宗総合財団奨励賞」という名誉ある賞を頂きました。

結成以来、44年間にわたり活動を続けていること、青少年育成の林間学校(現在の行学道場)を開設以来40年間継続していること、募金活動などの社会活動をはじめ布教活動への功績が評価され、今回の受賞に至りました。

今後も、青年会としての歩みを絶やさぬよう努力して参ります。

プロフィール雅  楽活動報告行学道場

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